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アーニーパイルと国際通り

皆さんはこのテンブス那覇がある国際通りの由来をご存知でしょうか?

その由来には1人のアメリカ人が大いに関係しています。

その人の名前はアーニーパイル。

今で言う戦場カメラマンのような存在で、過去にはアメリカで最も権威ある賞の一つでもある「ピューリッツァー賞」も受賞しているような、その道では
一目置かれるような存在でした。

しかし、アーニーパイルは沖縄戦中に伊江島で日本軍の銃撃に遭い、
戦死を遂げます。

多くのアメリカ兵がアーニーパイルの死を悲しみました。
※毎年、伊江島では戦死した4/18(日)にアーニーパイルの慰霊祭も行われて います。

その沖縄戦は激烈を極め、最終的には日本軍人・沖縄県民・アメリカ兵、
併せて20万人近くの人々が犠牲になっています。

そして終戦。
全てを失い打ちひしがれた沖縄の人々ですが徐々に復興に向けて歩み始めます。

終戦直後から、現在の平和通りや旧公設市場の付近で徐々に物の売り買い
(いわゆる闇市)が広がりを見せ、多くの人々が商売目的で賑わい始めました。

そこへ当時の米軍政府と琉球政府で県民のために劇場を建設する事になり、
その劇場の名称をアーニーパイルの功績を称え「アーニーパイル国際劇場」と
されました。

そして「アーニーパイル国際劇場」から、久茂地-安里間の通りが
「国際通り」と呼ばれるようになったのです。

その「国際通り」も「奇跡の一マイル」と呼ばれ、戦後の復興の象徴として
沖縄県民のみならず沢山の方々に愛し続けられています。

世界的にも著名な賞「ピューリッツァー賞」を獲ったアーニパイルの名に
負けぬよう、私たちもここから世界中に向けて、多くの事を発信出来る様に
邁進していきます。

テンブススタッフ sen.t

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